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東京高等裁判所 昭和53年(行ケ)92号 判決

一 請求の原因1ないし3の事実については、当事者間に争いがない。

二 そこで、本件審決を取消すべき事由の存否について判断する。

1 まず、原告は、審決が本願発明と引用例記載のものとにおける構成及び作用効果上の顕著な相違点を看過した旨主張するので、これらの点を順次検討する。

(一) 構成上の相違点の看過の主張について

原告は、本願発明における結合剤成分がテトラアルコキシシランの縮合物で三五%以上のSio2含有量を有するものを出発材料とするものであるのに対し、引用例に記載されたものは、テトラアルコキシシラン単量体を出発材料としているから、両者は、構成において相違する旨主張する。

成立について争いのない甲第三号証(昭和三三年九月一〇日産業図書株式会社発行、岩井信次編著「塗料ハンドブツク(再増補版)」三八六頁ないし三八八頁―引用例)によれば、引用例には、シリコンエステル塗料に関して、次の記載のあることが認められる。すなわち、「シリコンエステルが最初に合成されたのは大分古いのであるが、これは、水蒸気又は僅かの水によつて部分加水分解を起して、粘稠な液体となる。シリコンエステル塗料は、シリコンエステルが一部加水分解を起したものを基体として作られ、多孔質物質の面又はコンクリート等の塗装に用いるときは、シリカゲルの皮膜を形成し、防水、防湿の効果を発揮する。シリコンエステルの部分加水分解物の分子式を示すと、次のごとくであつて、nの数は、部分加水分解の程度によつて定まる。

<省略>

ペイント基体の製造の一例を示すと、次のごとくである。三五一lのエステル系溶剤を、一三五lの九四%アルコールに五〇・七lの水を加えたものに、攪拌しながら加え、これに、二五〇lのシリコンエステルを徐徐に加えて、溶液とする。更に、必要に応じてはTio2その他の非塩基性顔料を加え、これを密閉容器中で保存する。」(三八七頁二行ないし一五行)。

引用例の右の記載からして、シリコンエステル、すなわち、テトラアルコキシシランを部分加水分解して縮合させた縮合物が、塗料における結合剤組成物の構成成分となつていることが理解される。

ところで、本願発明における結合剤組成物において用いられる縮合物が、「一般式Si―(OR)4(式中Rは、炭素原子数四以下の直鎖アルキル基を示す。)で示される化合物の縮合物で三五%以上のSio2含有量を有するもの」であることは、当事者間に争いのない本願発明の要旨に徴して、明らかであるが、本願発明の明細書(成立について争いのない甲第一号証の二)における「発明の詳細な説明」には、「本発明の目的のため使用する前に、テトラアルコキシシランは、予備的に加水分解され、縮合物のSio2含有量が分子量にして三五%以上であるように縮合されることが要求される。」(一頁一八行ないし末行)との記載があることに照らしても、結局、本願発明の結合剤組成物において用いられる三五%以上のSio2含有量を有するところの縮合物も、テトラアルコキシシラン単量体の部分加水分解によつて得られたものということができる。更に、本願発明の明細書の「発明の詳細な説明」には、「溶剤混合物に対する酸を加えた水の添加から結果するテトラアルコキシシラン縮合物の二次的加水分解の程度は、テトラアルコキシシラン縮合物の各アルコキシ基につき、〇・一五モルから〇・五モルのH2oの範囲なら、いずれでもよい。」(六頁一六行ないし二〇行)、「本発明にかかる結合剤の調製後に、該結合剤は、通常使用前に放置して熟成される。」(七頁一七行、一八行)との記載があり、これらの記載によれば、本願発明における右縮合物は、結合剤組成物においては、アルコキシ基に対し、〇・一五モルないし〇・五モルの水によつて二次的に加水分解され縮合したものとなつていることが理解される。そうすると、本願発明の結合剤組成物にあつては、テトラアルコキシシラン単量体を二段階で加水分解して生成された縮合物がその構成成分となつているものということができる。

そして、成立について争いのない乙第二号証(昭和二六年一月二五日学術図書出版社発行、久保輝一郎著「珪素高分子化学」一八八頁ないし一九二頁)の記載によると、正珪酸エステル、すなわち、テトラアルコキシシランの加水分解及び重合反応は、加えられた水の量に応じて進行するものであること及びテトラメトキシシランの部分加水分解により得られるSio2(OCH3)6、すなわち、テトラメトキシシシランの二量体がテトラメトキシシランの加水分解反応と同様な反応様式によつて加水分解されることが理解され、これによれば、所定量の水を用いてテトラアルコキシシランを加水分解する場合には、その加水分解反応を一段階で行なつても、また、二段階で行なつても、生成する縮合物はそれほど差異のない性状のものとなると推認され、物質としては、同一の範ちゆうに属するものが生成するものと考えられる。

そこで、本願発明の二段階の加水分解において用いられる水の総量について検討すると、本願発明の明細書(前掲甲第一号証の二)の特許請求の範囲においては、第一段階の加水分解物に相当する縮合物について「三五%以上のSio2含有量を有するもの」であること及びその縮合物を二次的に加水分解するための水の量が「該縮合物の各アルコキシ基に対し〇・一五から〇・五モル」であることと一応限定されているものの、本願発明の明細書全体を通してみても、右のごとき限定規定を加えた理由が明確に記載されていないから、これらを規定した点に格別の意義を見出すことができない。そうすると、本願発明と引用例記載のものとの間には、その結合剤組成物における構成成分がテトラアルコキシシランの部分加水分解を一段階で行なつて生成したものであるのか、二段階で行なつて生成したものであるかの違いがあるとしても、生成した縮合物自体には、実質的な差異があるものとは認められない。そもそも、本願発明におけるテトラアルコキシシランの縮合物を構成する成分の一例であるテトラメトキシシランは、すでにそれ自体でSio2の含有量が三五%以上となつており、テトラメトキシシランの縮合物は、縮合度の小さい、例えば、一・一量体のものにおいては、テトラメトキシシランが単量体のままかなりの量存在しているものとみられ、一方、引用例の前記引用にかかる記載にも明示されているごとく、テトラアルコキシシラン単量体は、水蒸気又は僅かの水によつて部分加水分解を起こす物性があることからみても、引用例に記載された塗料に用いられるシリコンエステル、すなわち、テトラメトキシシラン単量体は、空気中の水分によつてその一部が部分加水分解されている場合のあることも容易に推測されるところである。これらのことを勘案すると、本願発明において、テトラメトキシシランの縮合物として縮合度の小さいものを用いる場合においては、引用例に記載されたものとその生成する縮合物の点で、実質的には差異のない場合が存在することは否定できないというべきである。

この点、原告は、単量体から出発した結合剤組成物と本願発明のごとく「三五%以上のSio2含有量を有する」縮合物から出発したものとでは、作用効果において相違することを主張として、両者の結合剤組成物の構成成分としての縮合物は、実質的に相違する旨主張するが、後に詳細に検討するように、甲第七号証の二、第一一号証及び第一二号証(いずれも宣誓供述書)に基づく効果をもつて、ただちに本願発明全体としての効果が顕著なものとみることはできず、縮合物としての違いを明確に把握しうるものではない。

この点を考慮しても、前記判断を覆すには十分でない。

右のとおりであるから、審決が本願発明の結合剤成分について、「テトラアルコキシシラン単量体と水との反応を二段階で行つて作つたという程度のものに過ぎない」ものと解したことには、原告主張のような誤りはない。

なお、原告は、本願発明と引用例とにおける構成上の差異として、製造方法の違いを主張するが、本願発明は、製造方法を発明の要旨とするものではないから、審決が両者の製造方法の具体的過程ないし順序について対比判断しなかつたからといつて、何ら違法ではない。

(二) 作用効果における差異の看過の主張について

(1) 原告は、作用効果に関し、まず、引用例に示されたシリコンエステル塗料は保存がきかないものであるのに対し、本願発明の例1における結合剤は四か月以上(六二度C)の棚晒性を有するから、両者の作用効果には、顕著な差異がある旨主張する。

引用例(前掲甲第三号証)には、原告指摘のように、シリコンエステル塗料について、「この種の塗料の特徴は、その皮膜の形成が加水分解によること、……耐熱性が大きいこと、塗装が容易であること、安価であること等であるが、一面、……保存がきかぬこと等の欠点がある。」(三八七頁一六行ないし一九行)との記載があるが、そこで、「保存がきかぬ」というのは、シリコンエステル塗料、すなわち、テトラアルコキシシランの部分加水分解縮合物は、空気中に放置しておくと、空気中の水分によつて加水分解反応が進行するから、調製されたシリコンエステル塗料は、開放された状態では、保存できないという意味であることが明らかである。このことは、引用例には、シリコンエステル塗料の一例について、前記引用部分の直前に、「これを密閉容器中で保存する。」との記載があることからも、十分肯認しうるところである。引用例の右の記載がこのように解される以上、本願発明の例1における結合剤組成物が引用例のものに比し、棚晒性について格別顕著な効果を奏するものとすることはできない。

(2)(ⅰ) 次に、原告は、甲第七号証の二に示された結合剤組成物を含有する亜鉛末コーテイングにおける比較試験の結果をもつて、本願発明が奏する効果の顕著なることを主張するとともに、そのような効果の相違は、出発材料として、部分加水分解し縮合したテトラアルコキシシランを用いるか、引用例のごとく単量体テトラアルコキシシランを用いるかの違いに由来する旨主張する。

前掲甲第一号証の二のほか、成立について争いのない甲第七号証の二及び弁論の全趣旨によれば、「結合剤組成物とこれを含有する亜鉛末コーテイング」にかかる米国特許出願第七六八二〇八号発明に関して提出された宣誓供述書には、本願発明の明細書における例1に相当する右米国特許出願の例1にしたがつて、すなわち、Sio2四〇%を含有するエチルポリシリケートと溶剤エチレングリコールモノエチルエーテルとを用いて調製した結合剤Bを亜鉛末塗料として鋼板上に用いたときの実験結果が、単量体エチルオルトシリケートと溶剤であるエチレングリコールモノエチルエーテルとを用いて調製した結合剤Aの結果と比較して示され、結合剤Bの方が硬度、接着度、防錆性などについて優れているとされている。しかしながら、当事者間に争いのない本願発明にかかる「特許請求の範囲」の記載から明らかなように、本願発明の結合剤組成物の用途は、亜鉛末塗料に限られず、また、テトラアルコキシシランの縮合物としては、右の比較実験で用いられたSio2含有量四〇%のポリエチルシリケートに限られてはおらず、「三五%以上のSio2含有量を有するもの」と示されるごとく、本願発明には、種々のSio2含有量を有するものが含まれるうえに、種々のポリシリケートが存在するし、更に、溶剤としても、エチレングリコールモノエチルエーテル以外にも種々のものが用いられるのであるから、甲第七号証の二に示された比較試験の結果をもつて、本願発明全体としての効果の顕著性を肯定するには不十分であり、また、右比較試験における相違が、原告主張のごとく、専ら出発材料としてのテトラアルコキシシランが単量体か、縮合物であるかの違いに基因するものと、にわかに、することはできない。

(ⅱ) 更に、原告は、甲第一一号証及び第一二号証に示されたゲル化時間についての試験の結果をもつて、本願発明にかかる結合剤組成物は、ゲル化時間が速いので、コーテイング組成物として使用するのに優れている旨主張する。

成立について争いのない甲第一一号証及び第一二号証によれば、いずれのゲル時間試験においても、炭酸アンモニウム二・五%水溶液をそれぞれの結合剤組成物と混合して行われていることが認められるが、一般に、シリコンエステル塗料は水の存在下常温又は加熱下に硬化して塗膜を形成するものであり、通常硬化のための添加剤を新たに加えることはない。したがつて、本願発明の結合剤組成物について、炭酸アンモニウム水溶液を新たに添加したうえ、ゲル化時間を比較してみても、これをもつて作用効果の顕著性を判断するために相当ないし適切なこととはいえない。

また、原告は、前掲甲第一一号証に示された固体分試験の結果に基づいて、本願発明にかかる結合剤組成物Ⅲは「薄い液」であつて、組成物として適用するのに容易であると主張するが、前掲甲第一一号証に示された固体分試験とは、「それぞれの結合剤組成物を九〇度Cの温度に一六時間加熱し、次いで、五時間一三〇度Cの温度に上げる。」(四頁)ことによつて行なわれているが(この試験が開放系において行われたことは、原告の自認するところである。)、本来、結合剤組成物は、右のような条件下において使用されるものではないから、右の固体分試験の結果をもつて、本願発明の効果の顕著性を、ただちに認めることはできず、また、右の固体分試験が直接に結合剤組成物の硬化の程度をみるためのものでないとしても、本願発明における結合剤組成物が右にみたような高温度による加熱処理後においても、なお外観が「薄い液」の状態にあるということは、やはり開放系において急速には硬化しないというように理解せざるをえず、これは前掲甲第七号証の二に示された硬度試験の結果とは一致せず、右固体分試験の結果によつて、本願発明全体につき原告主張のような性状ないし効果の違いを、たやすく断定することはできない。

右のとおり、甲第七号証の二、第一一号証及び第一二号証の記載内容を検討しても、単量体から一段で加水分解した縮合物と本願発明におけるようにテトラアルコキシシランの縮合物から出発して生成した縮合物とが性状において相違し、本願発明の奏する作用効果が格別顕著なものとすることはできない。

2 次に、原告は、審決が指摘した相違点(ロ)(ハ)について、審決は、それらの構成推考の困難性に関する判断を誤つた旨主張する。

(相違点(ロ)について)

本願発明の結合剤組成物におけるアルキレングリコールエーテル類が塗料の溶剤として周知のものであることは、原告も認めるところであり、また、前掲甲第三号証によれば、引用例には、シリコンエステル塗料の特徴が記載されているが、シリコンエステル塗料における溶剤については特定の物質に限られる旨の記載はなく、溶剤の種類にも言及することなく、ただ、「塗膜の硬化は、溶剤の量……によつて異なる。」と記載しているところからしても、シリコンエステル塗料における溶剤の選択には、何ら困難性がないことが認められる。

右のことからみても、審決が相違点(ロ)の点に関し、本願発明で規定するアルキレングリコールエーテルは、当業者が容易に採用しうる溶剤であるとした点には、何ら誤りはない。

(相違点(ハ)について)

原告は、引用例には、特定の出発物質(テトラアルコキシシラン縮合物)と特定溶剤とが記載されていないのであるから、両者の特定割合を容易に推認させうる根拠とはなりえない旨主張する。

しかしながら、塗料において、溶剤の量は、当業者が使用に当つて作業性などを考慮しながら、必要に応じて適宜決定しているものであり、本願発明における溶剤と縮合物との重量割合である〇・五対一から一〇対一の範囲の値は、周知の塗料において普通に採用される範囲から懸絶したものとはいえないので、溶剤と縮合物との割合を右の範囲に規定することは、当業者が容易にしうることであるというべきものである。

3 以上のとおりであるから、審決を取消すべき事由についての原告の主張は、いずれも採用できない。審決の判断は正当であり、審決には、これを取消すべき違法の点はない。

三 よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとする。

〔編註〕本顧発朋の要旨は左のとおりである。

一般式

<省略>

(式中Rは、炭素原子数四以下の直鎖アルキル基を示す。)で示される化合物の縮合物で三五%以上のSio2含有量を有するものと、該縮合物の各アルコキシ基に対し〇・一五から〇・五モルのH2oを与えるに充分な量の水と、約一二一度Cから約一四九度Cまでの範囲の沸点と約四六・一度Cから約七三・八度Cの範囲の引火点とを有するモノアルキレングリコールモノアルキルエーテル、ジアルキレングリコールモノアルキルエーテル、ジアルキレングリコールジアルキルエーテル及びモノアルキレングリコールジアルキルエーテルから成る類からの溶剤とから成り、溶剤と縮合物との割合が重量にして〇・五対一から一〇対一までである結合剤組成物。

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